22:4 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、

22:5 アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」

22:6 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。

 

神はその約束に基づいて、アブラハムにイサクという子供を授けてくださいましたが、なおここにおいて、アブラハムの信仰を試されるのです。

 

この試練は尋常なものではありませんでした。ヘブライ人への手紙12章には、「我が子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛するものを鍛え,子として受け入れる者を皆、鞭うたれるからである。」(ヘブライ12:5~6)と言われています。

 

この後の歴史を見ていくと、あらゆる信仰者たちは、主による試練を受け、それによって信仰を与えられたりその信仰を確かなものにされたり、真実の意味で隣人を愛するものとされていったことを教えられるのです。人の受けた試練で最も大いなるものは、イエス・キリストが受けた試練と言えるでしょう。それによって、そのうち傷によって私たちに命が与えられたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちは何事も自分の思い通りになるような生活からは、決してあなたを求めることはありません。苦しみや試練を通して、自分の無力さを知り、あなたを求める思いを与えられていきます。私たちが表面的にではなく真心をもって、あなたを愛するものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。