7:6 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

 

ここで「神聖なもの」といわれているのは、いけにえにささげられた動物の肉を指しています。祭司の任職の際にささげられる動物の肉は、「聖なるもの」とされ、祭司だけが食べ、一般の人は食べることができませんでした(レビ22:10参照)。

 

そのような「神聖なもの」を犬に与えてはならないのは当然のことです。「真珠を豚に投げてはならない。」というのは、ことわざにもなっていますから、聞いたことのある方もおられることでしょう。

 

人間にとっては真珠はきれいで尊いものだと思いますが、豚に真珠を与えても、豚にはその価値が分かりませんから、意味のないことになります。そのように、イエス・キリストの福音は、聖なるものであり、真珠のように価値のあるものですが、誰もが、その神聖やその価値を認めることができるわけではないのです。

 

このため、私たちにはどのような人に福音を語っているのかを見分ける力、識別力が求められます。しかし、ここで誤解してはならないのは、私たちは初めから、「この人は犬だ、あの人は豚だ」と決めてかかってはならないということです。もし、そのようにするならば、私たちは、「人を裁く」ことになるのです。

 

私たちは、人を裁いてはならず、すべての人にイエス・キリストの福音を宣べ伝えなくてはなりません。イエス・キリストは、すべての人を救うために、十字架の死を死んでくださったからです。しかし、私たちが覚えておきたいことは、すべての人がイエス・キリストの福音は神聖であり、絶大な価値があることを認めるわけではないということです。

 

祈り

 

天の父なる神様、福音を宣べ伝えることは重要なことです。「信仰は聞くことから始まる」からです。けれども、誰もが福音の価値を認めるわけではありません。私たちは人を裁くことなく、諦めることなく、あなたの福音を人々にお伝えすることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。