25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
25:3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
25:4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
当時、ユダヤでは夜に結婚式が行われ、花婿が花婿の友人たちと行列をなして、花嫁の家に迎えに行きました。その花婿を花嫁に先立って迎えるのが花嫁の友人である十人のおとめたちです。このたとえにおいての「花婿」とは、栄光の人の子として来られるイエス様です。
花婿を迎えに出て行くために、花嫁の家に十人のおとめが集まるのですが、「そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった」と記されています。イエス様は、何を基準にして、「愚か」とか「賢い」と言われているのでしょうか?その基準は油を用意していたかどうかです。
「愚かなおとめたちは、ともし火を持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた」。ここでの「ともし火」はランプのことです。たいまつと解釈する人もいるのですが、話全体から考えて、ランプのことであると思います。当時のランプは、陶器の器に、油を入れて、その油に灯心となる布きれを垂らしたものでした。
祈り
天の父なる神様、花婿が来るのを待つおとめたちのたとえによって、再臨のキリストを待ち望むことを教えてくださいました。私たちが賢いおとめのように、常に目を覚まして、主と共に歩み続けることが出来ますようにお守りくださりお導きください。