わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。1テサロニケ2:3~4
この手紙が書かれた頃も、その後も、イエス・キリストの福音を伝えたために迫害を受け、投獄されたり殺されたりするクリスチャンたちもたくさんおりました。クリスチャンであることによって仕事を奪われたり、その街を追い出されたりすることもありました。それはまさに命がけの働きでした。
この事実は、彼らが伝えたものが嘘や偽りではなかったということを表しています。人が嘘をつくのは、自分を守るためです。うそやごまかしのために命を懸けるということは考えられないことです。
彼らは、復活のキリストに出会い、この方こそメシアであるという確信を与えられ、迫害の中にあっても彼らを守り導いてくださる神の働きを覚え続けることが出来たのです。
祈り
天の父なる神様、あなたの約束、みことばは変わることなく、すべてが実現されていきます。人に喜ばれることよりも神に喜ばれることを選び取ることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。