それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。ローマ5:9~11

もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。(新改訳)

 

生まれながらの私たち人間はみな、罪の中に生まれてきたために、生まれながらに神を求める人、生まれながらに神を神として歩む人はひとりもありません。生まれながらの私たちは、「自己中心」という思いに捕われ、すべてのことを自分の思うように、自分がしたいようにするという思いを持っています。

 

「神を求める人はいない、ひとりもいない」(ローマ3:10~11)と言われている通りです。自分の思いをかなえてくれるような偶像を作ってこれに仕えることはあっても、まことの神を自然に求める人はひとりもいないのです。

 

しかし、そのような私たち人間を、神は見捨てることなく、どの人にも太陽を上らせ、雨を降らせ、日々の生活を育んでいてくださいます。そして、みことばを与え、ひとりひとりの心に働いて、神との平和、神との和解をいただいて、いのちの人生を生きるようにと導いてくださっているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたのお導きの中で、私たちを生かしてくださるあなたとの出会い、あなたとの平和をいただき、まことのいのちに生きることができるように、その道を開いてくださっていることを心より感謝いたします。あなたの愛と恵みの深さを知るとともに、パウロのように心からの喜びを持って日々を生きる者とならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。