6:46 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。
6:47 わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。
6:48 それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。
6:49 しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」
「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。」と言われています。これは、私たちの通常の暮らしの中でも当然のことと考えられるのではないでしょうか。口先だけでその通りに行おうとしない人は、信用されなくなるでしょう。
ヤコブの手紙には、真実の信仰は行いを伴うものだということが記されています。それは、「土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」と言われています。
私たちの人生の確かな土台は、神以外にはないのですが、神を自分の人生の土台として生きている人は、行いを伴うような確かな信仰に生きている人だということです。
私たちの人生には必ず嵐がやってきます。「私たちは、一度死ぬことと、死んだのち裁きを受けることが定められていますが、そのような洪水が襲ってきたときにも、信仰による確かな神とのつながりの中に生きている人は恐れる必要はないのです。
祈り
天の父なる神様、あなたは私たちの創造者であり、命の源であるお方です。あなた以外に確かな土台はありません。私たちは様々な嵐を経験していくことになるでしょうが、確かな土台の上にこの人生の歩みを続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。