14:7 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。

14:8 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、

14:9 あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。

14:10 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。

14:11 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

 

当時のファリサイ派の人たちや律法学者、サドカイ派の人たちは、婚宴などに招かれた時、上席に座っていたようです。日本では、通常、結婚式の披露宴の場合など、すでに座る席が決められていますから、率先して上座に座ろうとするということはあまりないかもしれませんが、この世の地位の高いとされる人などは、意識としても自分は高いレベルの人間だと思っているかもしれません。

 

当時の最高議会の議員で会った人たちなどは、自分はあの人たち、一般庶民の人たちに比べて高いレベルの人間であるという自負心を持っていたようです。

 

しかし、イエス様は、そのように当然であるかのように上座に座ろうとする人に対して、「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」と言われました。

 

何よりもイエス様ご自身が、へりくだった者としてこの世の生涯を歩まれたことを聖書は教えています。

 

フィリピの信徒への手紙には、イエス・キリストについて、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6~8)と言われています。

 

祈り

 

天の父なる神様、人は誰でも他の人よりも高められたい、自分の栄光が現され、自分が他の人々から褒められるようになりたいという思いを持っています。そんな私たちが、特にこの世的に権力を持つようになると、私たちでも上座に座ろうとするようになるかもしれません。そんな私たちにイエス様は、へりくだることを身をもって教えてくださいました。口先や表面的なことだけではなく真心からへりくだるものとなることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。