6:15 では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。
6:16 知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。
6:17 しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、
6:18 罪から解放され、義に仕えるようになりました。
「わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいる」と言われています。イエス・キリストによる罪の贖いのゆえに、その罪を赦されたのだから罪を犯してもよいと考える人がいたようです。
このように考える人に対して、パウロは、「だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらか」なのだというのです。
神は私たちを罪の奴隷の状態から救い出すためにイエス・キリストを遣わしてくださいました。神が私たちを愛し、大きな代償を払って救いの御業を実現してくださったのですから、私たちは二度と罪の奴隷に陥るような生き方をするべきではないのです。
祈り
天の父なる神様、かつては罪の奴隷でしたが、今は罪から解放され、義に仕えるようにされたことを心より感謝いたします。私たちの思いと行いが「罪から解放され、義に仕えるように」された者としてふさわしいものとされていきますようにお導きください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。