9:22 神はその怒りを示し、その力を知らせようとしておられたが、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれたとすれば、

 9:23 それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであったとすれば、どうでしょう。

 9:24 神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。

 

聖書の歴史は、人間の罪と神の憐みの歴史であるといえるでしょう。神の恵みによって生かされて来た人間が、その恵みに応えようとするよりも、神を侮り、無視し、自分の利益や肉の欲を満足させようとして、他の人々を踏みにじるようなことが今も続いています。

 

ところが、そのような人間をなおも愛し、忍耐をもって支え導いてくださるのです。「憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであった」と言われていますが、この人たちも神にとって立派な人たちであったからではなく、神の憐みによって、神を信じ、神と共に生きるように導かれた人たちでした。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたの限りない憐みを感謝いたします。あなたの憐みを覚えつつ、あなたの御心のうちに生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。