6:1 あなたがたの間で、一人が仲間の者と争いを起こしたとき、聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです。

 

ここで「聖なる者たち」というのは教会のことを指しています。聖書には、特に大きな問題が生まれてきたときには、まず教会の話し合いや会議によって真意を探り解決することが記されています。「正しくない者たち」というのは、神を信じていないこの世の人たちの裁判に訴えることを指しています。

 

マタイによる福音書には次のように記されています。「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。」(マタイ5:23~25)

 

ところが、コリントの教会の信徒たちは、問題が起こった時、教会の人たちに相談するのではなく、和解のために努めるのでもなく、直接この世の裁判に訴えたようです。今日でも裁判所の裁判が正しくなされないことが問題になっていますが、ローマ帝国の支配下にあった当時も権力者やお金持ちなどによってその判断がゆがめられていたようです。

 

祈り

 

天の父なる神様、何が正しいことで何が間違ったことなのか、私たちはこの判断を誤ってしまうことがあります。裁判も同じです。あなたのみ言葉である聖書を確かな基準として生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。