5:12 わたしたちは、あなたがたにもう一度自己推薦をしようというのではありません。ただ、内面ではなく、外面を誇っている人々に応じられるように、わたしたちのことを誇る機会をあなたがたに提供しているのです。

 

コリントの教会には、パウロが使徒であることを疑ったり、パウロの言葉を信じようとしない人たちがおりました。そのような人たちに対して、パウロは神の言葉を誠実に伝え、神に導かれてこの働きをしているものであって「自己推薦をしよう」としているのではないと述べています。

 

「内面ではなく、外面を誇っている人々」と言われていますが、1サムエル記16章には、「主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(1サムエル16:7)と言われています。

 

神様は人のうわべではなく内面をご覧になるお方です。同じく16章1節には「主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」(1サムエル16:1)このように言われています。サウル王は背も高く、見た目はかっこよく見えましたが、その内面はすでに神への信仰を失っていました。

 

内面をご覧になる神様は、サウル王ではなくダビデをふさわしい王として選んでおられたのです。私たちも人のうわべではなく、内面が神に喜ばれるものとなるように心がけていきたいと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちの心があなたへの信仰と希望と愛に満たされるものとなりますようにお守りくださりお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。