5:7 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
「憐れみ深い人々は、幸いである」と言われています。「憐み」というのは、「同情する」、「気の毒に思う」という意味で、つらい経験をしている人を憐れむと言うように用いられる言葉です。日本で使われてきた言葉で言えば「人情」と言ってもよいかと思います。
「よきサマリア人のたとえ」はよく知られているたとえ話ですが、このたとえ話の中で、追いはぎに襲われて道端に倒れている人を、サマリヤ人が憐れに思って介抱し、宿屋に連れて行ってお金を払って休ませてあげました。
「憐れみ深い」という事は、単にかわいそうに思うだけのことではありません。サマリヤ人のように実際に行動することです。イエス様はこのたとえ話において、「行って、あなたも(サマリヤ人がしたのと)同じようにしなさい」と言われました。
福音書に示されているイエス様の生きざまは、まさに憐れみ深い人の姿ですが、私たちはそのような生き方をすることが出来るでしょうか。このことにおいても、生まれながらの私たちは憐れみ深い生き方をすることのできない者であるという事を思わざるを得ません。
このことにおいても神様から新しい心にされなければ出来ないものであることを思わされます。1ヨハネの手紙には、「愛は神から出るもの」だと言われています。まことの愛は神によってもたらされるのです。
祈り
天の父なる神様、罪びとを愛してくださるあなたの憐みを感謝いたします。憐れみ深いものとして生きることが出来ますようにお導きください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。