9:35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
9:36 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
イエス様はガリラヤにある町や村を残らず訪ねて歩き、その町や村にある会堂で教え、神の国の福音を宣べ伝え、すべての病気をいやされました。そしてこの時、イエス様は、群衆を見て深く憐れまれたのです。なぜなら、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれていたからです。
「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれていた」という状況は、今の日本も同じような状況にあるのではないかと思います。「飼い主のいない羊」と言われていますが、羊は目が悪い上に、足が速いわけでもなく、牙のような武器も持っておらず、羊飼いによって守ってもらわなければ、道に迷ってオオカミなどに襲われてしまう可能性がとても高いのです。
羊にとって、羊飼いはなくてならない存在です。羊飼いを持たない羊は、迷いながら疲弊してしまっているのです。このように疲れ果てている羊を招いてくださる神様について、エゼキエル書34章には次のように記されています。
「まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。」(エゼキエル書34:11~12)
祈り
天の父なる神様、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれていた」というのは今のこの世界の状況を現わすものでもあります。人々がまことの羊飼いを見出すことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。