12:37 あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」

 

イエス様はまた、「あなたは、自分の言葉によって義とされ」ると言われました。その前の34節には、「蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか」と言われました。ここで言われている「良いこと」とは何でしょうか?

 

「良いこと」とは、聖霊の御業が示しているように、イエス様をメシア、神の子であると告白することです。少し後の16章で、ペトロが、イエス様に、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白しますが、これこそ、「良いこと」です。

そうすると、「あなたは自分の言葉によって義とされ」るの「自分の言葉」とは、「イエス・キリストは主である」という信仰の告白であるということが分かります。そして、このような告白を、私たちに与えてくださる方こそ、私たち一人一人の心に宿ってくださる聖霊なのです。

第一コリント書の12章3節には次のように言われています。「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」

 私たちが、なぜ、「イエスは主である」と告白することができたのか?「十字架につけられたイエスを、神が死から三日目に復活させられ、御自分の右にあげられ、主とされた」と、なぜ信じることができるのか?それは、私たちに、神の霊、聖霊が注がれているからなのです。

聖霊は、三位一体の神の第三人格であるお方であり、御父によって主とされた御子イエスの霊です。聖霊は、神の右に座して主となられた、イエス・キリストを通して注がれるがゆえに、私たちの口に「イエスは主である」とのよい言葉を語らせてくださるのです。

聖霊が私たちの口に、良い言葉を、「イエスは主である」との信仰の言葉を語らせてくださり、その信仰の言葉によって、私たち一人一人は、裁きの日に義とされるのです。私たちは、「イエスは主である」という信仰の言葉によって、すべての罪を赦され、裁きの日に、公に正しい者とされるのです。

祈り

 

天の父なる神様、イエスは主であるという信仰をお与えくださり、あなたの恵みの内を歩ませてくださいますことを心より感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。