12:41 ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。
12:42 また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」
ニネベとは、アッシリア帝国の首都でした。ですから、ニネベの人たちとは、神の民ではない異邦人です。その異邦人であるニネベの人々が、ヨナの説教を聞いて悔い改めたのです。しかし、神の民イスラエルは、ヨナにまさるイエス様の説教を聞いても、悔い改めなかったのです。
イエス様は、「悔い改めよ、神の国は近づいた」と宣べ伝えましたが、イスラエルの民は悔い改めなかったのです。それゆえ、イエス様は、「ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定める」と言われるのです。
さらにイエス様は42節でこう言われました。「また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある」。
南の国の女王がソロモン王の知恵を聞くために地の果てから来たという出来事は、列王記上の10章に記されています。この女王も神の民ではない異邦人です。異邦人である南の国の女王がソロモン王の知恵を聞くために地の果てからはるばるやって来たのに対して、神の民であるイスラエルはソロモン王にまさったイエス様の知恵に聞こうとはしないのです。
それゆえ、イエス様は「南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう」と言われるのです。ここでの「裁きの時」はいずれも、世の終わりに行われる最後の審判を指しています。「立ち上がる」とは「よみがえる」「復活する」とも訳すことのできる言葉です。
最後の審判においては、すべての人が復活させられ、神様の裁きを受けるわけですが、そのとき、ニネベの人々も、また南の国の女王も、ヨナにまさり、またソロモンにまさるイエス様を信じない人たちに不利な証言をするようになる。彼らの存在そのものが、イエス様を信じない者たちを罪に定めることになるのです。
祈り
天の父なる神様、悔い改めて神様に立ち帰ったニネベの人たちやソロモンのもとを訪ねた南の国の女王が、裁きの時には、キリストを非難して受け入れようとしなかったユダヤ人たちを罪に定めるようになると言われました。異邦人も神に立ち帰り、悔い改めて神を信じるならば救われるというあなたの御心を教えるものです。私たちが主にあって歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。