富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。マタイによる福音書6:19-20
自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

この地上にある目に見えるものは、いつかは消えていくものです。建物もやがて風化していきますし、お金や財産もいつまでも続くものではありません。「虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。」そう言えるものがこの地上にあるのかと考えてみるなら、何一つないことを思わされます。

 

神によって造られたこの世界は、残念ながら人間が罪を犯したことによって、この世界全体が罪に染まってしまいました。そのために、この世界は、終わりの時には消えていくことが聖書には告げられています。

 

ヨハネの黙示録21章には、「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」(21:1)と言われています。「最初の天と最初の地」とは現在私たちが生活の拠点としているこの地球や宇宙のことですが、それらはいずれなくなり、新しい天と新しい地がもたらされる時が終わりの日にはやってくるのです。

 

旧約時代のヨブは、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と語りましたが、主イエスは、神の国とこの世にあるうちに天に宝を積むことを語られ、パウロは、「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(1コリント13:13)と述べています。

 

スポルジョンは、「天に持っていくことができないもののために熱心になることなかれ」と言いました。

いつまでも残るもの、天にまでもっていくことのできるもののために熱心でありたいと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、主イエスが天の父なる神の御心に従って、神と人々を愛する生涯を歩まれたように、私たちも天に宝を積む歩みをすることができますように、御霊によって生きるものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。