20:29 一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った。
20:30 そのとき、二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。
イエス様ご一行はエルサレムに上って行こうとしておられるわけですが、「エリコの町」はエルサレムに上るための最後の宿場町でした。エルサレムに上る者たちは、エリコの町で一泊して、早朝エルサレムに旅立つのが常だったのです。イエス様ご一行がエリコの町を出たことは、イエス様ご一行がいよいよエルサレムに入られることを意味しているのです。
そのイエス様に大勢の群衆が従ったことは、大勢の群衆の間に、イエス様がエルサレムで王として君臨されるのではないかという期待が広がっていたことを教えています。また、時は過越祭の季節でしたから、大勢の群衆も過越祭を祝うために、エルサレムに上るところであったと思われます。
この時「二人の盲人が道端に座っていた」とありますが、彼らは道端に座って物乞いをしていたと思われます。道端に座って物乞いをしていた二人の盲人は、イエスがその前を通っていくことを聞いて叫びました。「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」。
二人の盲人は、イエスが通られると聞いて、イエス様を「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけています。「主」とは、「ご主人様」といった目上の人に対する呼びかけですが、イスラエルの神様を意味する言葉でもあります。おそらく、二人の盲人は、主なる神様から遣わされたお方として、イエス様を「主よ」と呼びかけたのだと思われます。
二人の盲人は、イエス様を「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけることによって、イエス様を来たるべき約束の救い主であると言い表したのです。そして、「わたしたちを憐れんでください」と言いました。
「憐れんでください」と願った二人の盲人は、自分が弱く罪深いものであることをも自覚していて、神の憐みがなければ救われない者であることを知っていたからこそこの言葉を語ったのではないかと思います。事実、神との関わり、交わりが生まれるとすれば、それはひとえに、イエス様の憐れみによるのです。
祈り
天の父なる神様、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と願った二人の盲人たちのように、素直にあなたに願い求めるものとならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。