22:41 ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。
22:42 「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、
これまではファリサイ派の方からイエス様似た死して質問をすることが多かったのですが、ここでは、イエス様の方からファリサイ派の人々に尋ねておられます。41節には、「ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった」と言われているように、ファリサイ派の人々がイエス様の言葉じりをとらえて、罠にかけようと相談しているところに、イエス様は出向かれて、「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか」とお尋ねになったのです。
メシアとは、イスラエルにおいて油注がれた者という意味ですが、旧約聖書において預言者、祭司、王が油を注がれてその職務に任職されました。イエス様は、「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか」と尋ねられたのに対して、ファリサイ派の人々は、「ダビデの子です」と答えました。私たちはこの答えから、ファリサイ派の人々が望んでいたメシア・油を注がれた者が、ダビデのような王であったことを教えられます。
神によって遣わされたメシアが来るという事は、当時の人々の期待でもありました。ですから、イエス様が子ろばに乗ってエルサレムに入城した際、大勢の群衆が「ダビデの子にホサナ」と叫んだのでした。
当時、イスラエルは、自治が与えられていたとはいえ、ローマ帝国に支配下にありました。イスラエルには王が久しくいなかったのです。このため人々はダビデのような王が現れてイスラエルを再興してくださるという期待を持っていたのです。
祈り
天の父なる神様、当時のイスラエルの人々は、ダビデのような王が現れて、ローマ帝国を滅ぼしてイスラエルを再興してくれるようなメシアの到来を待ち望んでいました。しかし、実際にイエス様はローマ帝国よりもはるかに大きな私たちの敵から解放し、イスラエルのみならずあらゆる人々を罪と死の縄目から解放するために来てくださいました。あなたのお恵みとその御業を心より感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。