ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。エペソ人への手紙4:25-32
イエス・キリストを私の救い主と信じて受け入れた人に対する勧めが語られています。
「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」とありますが、ある人に対する「怒り」の心を抑えようとしてもなかなか抑えることが出来ず、憎しみの心を持ち続けていると、どこかで表に現れるような罪を犯してしまうことがあります。
ですから、キリストが私たちを赦してくださったことを覚えつつ、相手を赦すことが勧められています。人との間にわだかまりがあるとき、それは相手が100%悪いように思っているかもしれませんが、実は自分の方にも必ず問題があるものです。相手に対して憎しみの心を抱くことそれ自体が罪なのです。
「自分は正しい、相手は間違っている」という思い、「あいつはどうしようもない奴だ」というような思いが、いじめ、争い、あるいは戦争にまでエスカレートすることがあります。
主イエスは、自分を十字架につけている周囲の人たちにも、「父よ父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と祈られました。
また、「立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」(マルコ11:25)ともいわれました。
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話す」ようにと言われています。「悪い言葉」とはどういう言葉でしょうか。誰かを憎んだり、差別したり、見下したり、悪口を言ったり、馬鹿者というような言葉ではないでしょうか。
神は、どの人のいのちも大切であり、愛すべきいのちであることを教えてくださっています。ですから相手を尊び、「お互いに親切にし、心の優しい人となる」ことを願っておられるのです。
祈り
天の父なる神様、私たちのうちにある罪の心は、なんとあなたの御心から離れていることでしょうか。この罪の心が新しくされるためには、あなたによって深く、深く自分の罪を自覚し、打ち砕かれた悔いた心であなたにより頼むことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。