26:23 イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。
26:24 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」
26:25 イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」
「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」。
ここで、イエス様は、御自分が裏切る者が誰であるかを特定しておられません。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者」とは、食事を共にしている弟子たちのことですが、この言葉によって、イエス様は誰が自分を裏切るのかを特定されてはおりません。むしろ、イエス様がここで強調しておられることは、食卓を共にする親しい者から御自分が裏切られるということです。
ユダは、自分の意志で、銀貨三十枚と引き換えにイエス様を引き渡しました。それは「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」とイエス様から言われてしまうほどに、深刻な罪です。イエス様はユダに対して、厳しい言葉をお語りになりました。それはユダに自分がこれからしようとしていることがどれほど大きな罪であるのかを告げるためです。
そのようにして、イエス様は十二弟子の一人であるイスカリオテのユダが悔い改めることを願われたのです。しかし、そのイエス様の思いはユダには届きませんでした。ユダは「先生、まさかわたしのことでは」と問いただしました。ここで、ユダは他の弟子たちの言葉を真似しておりますが、他の弟子たちが、イエス様を「主よ」と呼んでいるのに対して、ユダは「先生」「ラビ」と呼んでいます。
ユダはイエス様を「主よ」とは呼ばずに「先生」と呼びました。イエス様に敵対していた律法学者たちやファリサイ派の人々がイエス様を「先生」と呼びかけたように、ここでユダもイエス様を「先生」と呼びかけるのです。このユダの問いに対して、イエス様は、「それはあなたの言ったことだ」と言われました。
祈り
天の父なる神様、イスカリオテユダの裏切りは彼自身の罪ですが、他の弟子たちもイエス様を裏切ったことは同じですし、私たちも幾度となくイエス様を裏切ることがあったのではないかと思います。しかし、そのような者を顧みてあなたのもとに導き返してくださる恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。