26:26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」
26:27 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。
26:28 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
26:29 言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
26:30 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

「一同が食事をしているとき」とありますが、この食事は「過越の食事」であります。過越の食事とは、その昔、神様がイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放されたことを祝う食事でありました。その過越の食事の席で、イエス様は、新約の礼典の一つである「主の晩餐」を制定されたのです。

出エジプト記12章21節以下には過ぎ越しの意味が記されています。「モーセはイスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。」

イエス様は、種入れぬパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながらこう言われました。「取って食べなさい。これはわたしの体である」。また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して次のように言われました。

「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」。ここでイエス様は過越の食事のパンと杯に新しい意味づけをされています。パンを「わたしの体である」と言われ、杯の中身であるぶどう酒を「わたしの血」と言われたのです。

このように意味づけされたパンとぶどう酒は、十字架につけられるイエス様を指し示すものです。その昔、主がエジプトに対する最後の災いに先立って過越の食事を制定されたように、主イエスは十字架の死に先立って、主の晩餐を制定されるのです。主イエスは、パンとぶどう酒によって、御自分の十字架の死の意味を前もって説き明かされたのです。

祈り

天の父なる神様、イエス様が最後の晩餐において十字架の死の意味とこれを行うように教えてくださったあなたの恵みを感謝いたします。十字架の意味を覚えつつ、あなたの愛にお応えしていくことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。