26:67 そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、
26:68 「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った。

イザヤ書の50章4節から9節には、「主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。主なる神が助けてくださるから/わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている/わたしが辱められることはない、と。わたしの正しさを認める方は近くいます。誰がわたしと共に争ってくれるのか/われわれは共に立とう。誰がわたしを訴えるのか/わたしに向かって来るがよい。見よ、主なる神が助けてくださる。誰がわたしを罪に定めえよう。見よ、彼らはすべて衣のように朽ち/しみに食い尽くされるであろう。」と言われています。

ここに、最高法院において沈黙し続けられたイエス様の信仰が記されています。イエス様をあざけり、その顔に唾を吐きかけても、イエス様はそれをあざけりとは思われない。なぜなら、イエス様の近くには御自分の正しさを認めてくださる方がおられるからです。イエス様の正しさを認めてくださる父なる神が共にいてくださるゆえに、誰もイエス様を辱めることはできないのです(ヨハネ16:32参照)。

祈り

天の父なる神様、「嘲りと唾を受けた。主なる神が助けてくださるから/わたしはそれを嘲りとは思わない。」という主イエスの御心に私たち自身の思いを近づけていくことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。