27:50 しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
27:51 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、
27:52 墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
27:53 そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。

イエス様が再び大声で叫び、息を引き取られた時、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け」ました。この「神殿の垂れ幕」は聖所と至聖所を隔てる幕のことです。聖所は祭司たちが仕える場所であり、至聖所は神様が臨在される場所です。

至聖所には、年に一度、大祭司だけが贖いの儀式を行うために入ることができました(レビ16:32~34)。聖所と至聖所を隔てる垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたことは、イエス様の贖いの死によって、神殿祭儀が役割を終えて、神様に近づく新しい道が開かれたことを示しています。今や、イエス・キリストの御名によって、誰もが大胆に神様に近づく道が開かれたのです(ヘブライ4:14~16)。

イエス様が息を引き取られたのを見て、その場を取り仕切っていたローマの百人隊長はこう言いました。「まことに、この人は神の子だった」。異邦人でありローマの役人であった百人隊長が、「まことに、この人は神の子だった」と言うほどの出来事が、十字架のうえで起こったのです。

この百人隊長が、どのような思いでこの言葉を口にしたのかは分かりません。しかし、この百人隊長の言葉は、真実です。十字架に磔にされて、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたイエス様こそ、父なる神の御心に完全に従われた神の子なのです。

祈り

天の父なる神様、「まことに、この人は神の子だった」と百人隊長が語ったように、神の御子であるお方が、私たちと同じ人として、神を愛し、人を愛する御生涯を歩んでくださり、救いの御業を実現してくださった恵みを心より感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。