1:15 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。
1:16 「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。

ペトロは、ここで再び使徒たちの中でリーダーシップを取っています。イエス様は主の晩餐の席において、シモン・ペトロに「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と言われました。私たちは、そのお言葉が確かに実現していることを、この所から教えられるのです。

ここには、「百二十人」とありますが、これは、ユダヤにおいて、独立した議会を形成するのに必要な最低人数であったと言われています。つまり、使徒たちの集会、エクレーシアは、ユダヤの社会において合法的な組織であったということです。

そして、この百二十人への言及は、これから話し合われることが、正式な会議によるものであることを暗示しています。ここでまずペトロは、「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。」と述べています。

「実現しなければならなかった」と言うのは、神様が必ず成し遂げられるという事を意味しています。ユダの裏切りは、人の目からすれば不可解であったとしても、実は、聖書に前もって記されていた預言の成就であると言うのです。

17節でペトロが言っているように、ユダは使徒の数に数えられており、彼らと同じ奉仕を割り当てられていました。イエス様がガリラヤにおいて、神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら町や村を巡った時、ユダも共にいたのです。また、イエス様が12人を遣わされた時、やはりユダも一緒に遣わされていました。

その使徒であるユダが、イエス様を祭司長たちに引き渡しました。このことを、ペトロは痛みをもって語ったと思います。しかし、このことをあえて語ることができたのは、このようなユダの裏切りを通しても、神様のご計画は実現していくことをペトロは知ったからです。聖書に預言されていた神様のご計画の中で、人々は、このユダの出来事を、痛みを覚えながらも、真っ正面から受け止めることができたのです。

祈り

天の父なる神様、聖霊が降臨した後、使徒ペトロは、聖霊に満たされて人々に説教をいたしました。ここではイスカリオテユダの裏切りについて言及されていますが、ユダの罪にもかかわらず、神の救いの御業が実現されることが語られています。万事を益としてくださる主の御業がここにも示されています。私たちも数々の罪や失敗を犯してしまう者ですが、すべてのことが益となり、あなたの御栄光を現わす働きをしていくことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。