3:12 これを見たペトロは、民衆に言った。「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。
3:13 アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。
人々は、ペトロとヨハネが自分の力や信心によって、この男を癒したかのように、二人を見つめておりました。けれども、ペトロは、そうではない、とその誤解を解き、この男を癒したのは誰であるかを人々に告げたのです。
それは私たちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神によって栄光を受けたイエスによるものでした。そもそも、彼らは神の民、「イスラエルの人たち」ですから、聖書によって神を知らされている者にとっては驚く必要などなかったのです。
今、この人が癒されたのは神がその御子であるイエス・キリストに栄光をお与えになったからに他ならないと語るのです。さらに、このことは、アブラハム、イサク、ヤコブとの神の契約に基づくものであるというのです。
ペトロは、イエス様のことを「神の僕イエス」と呼んでいます。ここで使われている「僕」という言葉は、奴隷という言葉ではなくて、大切なしもべを表す言葉が用いられています。自分の子供をも表す言葉がここで用いられているのです。
祈り
天の父なる神様、ペトロは、「わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。」と言って、この人が癒されたのは自分たちの力によるのではなく、主なる神の働きによるものであると宣言しています。神の御業による働きが、私たちの内にもあることを覚えて主に聞き従う者とならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。