4:12 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
ペトロが、イエスの名にあくまでもこだわる理由、それは「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」からです。それゆえに、ペトロはイエス・キリストの名にこだわり続ける、イエス・キリストの名に執着し続けるのです。
どの宗教を信じても行き着く先は同じだという言葉を聞くことがあります。ちょうど、山を登るのに、色々な道があったとしても、その道はやがて同じ頂上にたどり着くように、どの宗教を信じていても、行き着く先は同じ天国であると言うのです。けれども、聖書はそのようなことは決して教えておりません。
ペトロは、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」と語っています。宗教ならば何を信じていても救われるのではありません。ただイエス・キリストを信じる者だけが救われるのです。イエス・キリストの名を信じること、それが神が備えてくださった私たち人間が救われる道なのです。
イエス様御自身もヨハネによる福音書の14章6節で、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のものに行くことはできない。」と言われました。イエス・キリストという道を通らなければ、誰も父なる神のもとへ行くことはできないのです。
山登りの場合は、どの道を通っても上っていけば頂上にたどり着くという事はあるでしょう。しかし天国に行く道は、イエス・キリストという道を通らなければ到達することはできないのです。そのことを知っているがゆえに、使徒たちは、自らの危険を顧みずイエスの復活を語り続けたのです。そのことを知っているがゆえに、主イエスは、十字架の死に至るまで、父なる神の御心に従い抜かれたのです。
祈り
天の父なる神様、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」という真理をしっかりと心に刻みつつ、あなたが示される道を歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。