4:21 議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。
4:22 このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。

結局のところ、ペトロとヨハネは釈放されました。イエス様が十字架につけられた時には、ローマ総督による裁判が行われるとともに、民衆も「イエスを十字架につけろ」と叫ぶ有様でしたが、この場合は、「皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかった」のです。

こうした動きに中にも聖霊の導きがあったに違いありません。ペトロとヨハネは最高法院において、議員たちに対しても大胆にその罪を指摘し、キリストの福音を宣べ伝えていきました。その大胆さを生み出したものは、聖霊の導きに他なりませんが、彼らは自分たちが神の御意志に従っているという信仰の確信を与えられていました。

最高法院が神の名によって語ろうとも、また国家権力を振りかざそうとも、使徒たちは自分たちこそが神に従っていることを聖霊によって確信することができたのです。なぜなら、彼らは神が遣わされメシアとなされた主イエス・キリストに従っていたからです。

祈り

天の父なる神様、人間の社会にあっては権力を持っており、イエス・キリストを十字架につけて殺害した最高法院において、大胆にキリストの福音を宣べ伝えたペトロの姿は、決して人から出たものではなく、神によってもたらされた御業です。私たちも人に従うより神に従う生き方をすることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。