なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。1コリント1章17節
キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。
パウロは、自身が神に召されたのは福音宣教のためであると言いました。これはパウロ自身の召しについて語っていることですが、私たちへの言葉としても語られている言葉と言えます。福音を伝えることこそ、重要なことだと言うのです。「キリストの十字架がむなしいものに」ならないためだと言うのです。
前回は、私たちが何のために時間を使っているのか、という問いかけをいたしましたが、私たちの暮らしにおいて重要なことと、そうでないことがあり、何を優先するのかということを、神の御心に照らして吟味する必要がありますが、「福音」を伝えることは、神が私たちに願っておられることの中でも最重要な事柄と言えるでしょう。
それは、その人の永遠を左右する事柄、いのちに関わる事柄だからです。
主イエスは、「あなたはメシアです」という信仰の告白をしたペテロに対して、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」」(マタイ16:18~19)と言われました。
主は、「天国の鍵」という大切なものをペテロに代表される教会に与えてくださいました。福音を伝えるとは、「天国の鍵」をその人にもたらすことなのです。
祈り
天の父なる神様、あなたはパウロを通して、多くの人々に福音を伝えるようにしてくださり、私たちにもその恵みに与ることができるようにしてくださいましたこと、心より感謝いたします。
私たちも、あなたの御意思を覚えつつ、この働きを果たしていくことが出来ますようにお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。