わが子よ/わたしの言葉を受け入れ、戒めを大切にして知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら、分別に呼びかけ、英知に向かって声をあげるなら銀を求めるようにそれを尋ね/宝物を求めるようにそれを捜すなら

あなたは主を畏れることを悟り/神を知ることに到達するであろう。

 

ここには、私たちの関心事をどこにおくのかということが教えられています。「私の言葉を受け入れ」とあるように、聖書の言葉を私への神の言葉として聞き、ここに心を傾けるなら、やがては神を知るようになる妥当と言われています。

 

神を知るようになった人とはどのような人たちでしょうか。聖書に出てくる人物で言えば、アブラハム、ノア、モーセ、ダビデ、イザヤ、ダニエルなどの旧約に出てくる人々、それに、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、ピリポ、パウロ等の新約に出てくる人たちを上げることが出来るでしょう。

 

これらの人たちは、様々な信仰の戦いや迫害をも経験した人たちです。そして、ただ頭の知識だけで神を知っているというのではなく、心の深いところで神との交わりを楽しみ、それゆえに喜びをもって生きた人たちでした。

 

「主を畏れることを悟り/神を知ることに到達する」その究極的な姿は、私たちがイエス・キリストと同じような姿に変えられるということです。それが実現するのは、肉体の死の後になることでしょうが、その希望をもって日々を歩みたいと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、罪のもとにあって、さばきを免れることのできなかった私たちが、主を畏れることを悟り、神を知ることに到達することが出来ますように、日々の歩みをお守り、お導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。