目を覚まして祈っていなさい。マタイによる福音書26章41節

目を覚まして祈るように勧められています。「目を覚ます」ことの反対は、言うまでもなく「寝ること」です。私たちは、当然のことながら寝ているときには外で何が起こっているのか全く分かりません。ぐっすり寝ていれば、誰かが部屋に忍び込んできたとしてもそれに気が付かないこともあるのです。

目を覚ましていなければ、食事を作ることも、仕事をすることも、他の人と話をすることも、外に出ていくことも出来ません。寝ているというのは、体は生きていても何もできない状態ということが出来ます。

今日のみ言葉が教えていることは、霊的に目覚めていることです。肉体は目覚めていても、霊的に目覚めていなければ、私たちは何もすることができない。意味のある人生を生きることが出来ないのです。

霊的に目覚めるとは、神との関係がつながっている状態ということができます。律法学者やファリサイ派の人たちは、よく祈る人たちでしたが、彼らは主イエスから偽善者と呼ばれています。それは、祈ってはいても目を覚ましていなかった、神とつながっている人たちとはいえないと主イエスは判断しておられたということです。

私たちはどうでしょうか。自分は〇〇ができたということよりも、神様とつながって生きる人生を送りたいものです。

祈り

天の父なる神様、あなたは目を覚まして祈るようにと教えてくださいました。あなたは表面的な姿のみならず、私たちがどのような心で祈っているのか、あなたに信頼し、あなたに心を傾ける私たちの思いがどのようなものであるのかをよくご存じです。真実に、真心をもって祈りを捧げることが出来ますように。 イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。