14:1 信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。

 14:2 何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。

 14:3 食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。

 14:4 他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人によるのです。しかし、召し使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです。

 

この世界には、社会的に強い立場にいる人や弱い立場に置かれている人がいます。誰でも赤ちゃんとして生まれた時には弱い立場であり、自分で考えたり行動することにも他の人のお世話にならなければなりません。お年寄りの方々も同様に体力や思考力も衰えて自分で自分のことさえできないで介護していただかなければならないこともあります。

 

主イエスは、次のように言われました。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」(マタイ25:35~40)

 

「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」と言われました。今日の聖句では、「信仰の弱い人」、「召使」に対してどのように対応していくのかということが記されています。主イエスは身をもってこの言葉にあるような御生涯を送られたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、日本の言い伝えには、「弱気を助け、強きをくじく」という言葉がありますが、この世の権力者たちの多くは、富裕層たちの交わりを持っていて貧しい庶民の苦しみや思いを理解が出来ず、自分が神であるかのように傲慢になってしまう傾向があります。主イエスが言われたように社会において弱い立場の人たちや信仰の弱い人たちへの配慮をもって歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。