13:7 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。

13:22 茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。

 

私たちが住んでいるこの世の世界には、たくさんの「世の思い煩いや富の誘惑」というものがあります。み言葉を聞いて、神様に聞き従おうという思いを持つことがあっても、それは一瞬のことで、この世の思い煩い(病気になったり、怪我をしたり、災害にあったり、人間関係のことで悩んだりなど)が心を支配してしまって、神様のことなど考えられなくなってしまうこともあります。

 

お金がなければ今日の食事を確保することも難しく、衣食住を確保するためにもお金が必要な世の中に住んでいます。必要なお金で満足できれば良いのですが、私たちの欲望はもっとお金を儲けてもっと豊かな暮らしをしたいと考えることもあります。むさぼる思いも生まれてくるのです。そのような弱さがありますので、神様の言葉を聞いてもお金や地位や名誉など、この世の様々なものを求めたいという誘惑に負けてしまうこともあるのです。

 

さらには、宗教的指導者である律法学者たちやファリサイ派の人々は、イエス様を安息日を汚す者として殺そうと相談しました。彼らは、イエス様が神の霊によって悪霊を追い出しているにもかかわらず、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」とイエス様と聖霊を冒涜したのです。悪魔はこの世の権力者たちを用いて、神に従おうとする者を迫害することもあるのです。

 

この時の多くの群衆は、イエス様の言葉を聞いても、イエス様の業を見ても、その意味を悟ることができず、ただただ驚くばかりでした。彼らは、イエス様に従う弟子となる決心をせずに、興味本位から集まってくる烏合の衆でありつづけたのです。

 

このような中で神の言葉に聞き従うことはまことに私たちにとっては困難なことであり、神の導きなしには不可能なことであるように思われます。私たちが神を信じて生きるようになるのは聖霊の導きによるものであり、神の恵みによるものだということが出来ます。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたのみ言葉を聞いて私たちの心に罪を悔い改めて、キリストに聞き従おうとする思いを与えてくださる恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。