わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。ヨハネの手紙第一4章10節

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 

1コリント13章には、愛の賛歌といわれる聖書の言葉が記されています。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。

礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。

不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

ここには、愛とは何であるのかということが記されています。

 

言葉で表現するならこのように言うことが出来ると思いますが、神が私たちのために遣わしてくださった主イエスを通して、私たちはその生きざまを通して愛するとはどういうことなのか。を教えられます。

 

愛とは何かを知るという以上に、愛そのものであるイエス・キリストが今も生きて私たちのうちに働いておられることを知らされるのです。

神はなぜ人を創造なさったのでしょうか。それは、ともに愛し合うことを願われたからではないでしょうか。

 

ひとり子を与えるほどに私たちを愛してくださった神は、今も愛をもって私たちを守り、支え、招いていてくださいます。

 

祈り

 

天の父なる神様、愛はあなたから生み出されるものです。真実の愛の豊かさ、広さ、深さ、長さ、高さを知ることが出来ますように。そして愛に生きるものとならせて下さい。イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。