この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。ローマ12:2
少し前に、私たちは、「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ7:13)というみ言葉を聞きました。生まれながらの人たちは例外なく広い門から入る人たちでした。
今日の聖句においても、多くの人たちはこの世と調子を合わせる生き方をする人であるということもできます。それは神の前に自分の罪を認め、悔い改めて、神の前にひれ伏そうとはしないで、自分の思いや考え(周りの人たちの考えに自分を合わせていくことも含めます)を優先にして生きている人といってもよいでしょう。
この世と調子を合わせる生き方は、一枚の葉っぱが川の流れに身を任せるようなもので、ある意味楽な生き方といえます。この世の支配者(ヨハネ12:31、16:11,1コリント2:8参照)、この世の権力者に倣うありかたといってもよいでしょう。
しかし、イエス・キリストの生涯を見ると、決してこの世と調子を合わせるような生き方ではなく、すべて父なる神の御心に従うという生き方であったことが分かります。時の権力者であったユダヤ最高議会の人たちに対しても、ローマ帝国の役人に対しても、こびへつらうようなことはなく、ただ、神の御心を行い、神と人とに仕えるという生涯を歩んでくださったのです。
祈り
天の父なる神様、罪によって堕落してしまったこの世界は、あなたの御手によって生かされてはおりながらも、的を外れたように人生の目的を見失い、命の主を見いだせないままに多くの人々が暮らしているように思われます。
真実により頼むべきお方に立ち帰ることができますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。