6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
イエス様は、25節で「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。」と言われましたが、ここでも同じことを繰り返しておられます。
「異邦人」と言われているのは、神を知らない人たちのことです。神によって支えられ生かされていることを信じることのできない人たちは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むことになってしまう。けれども、神を知り、神によって生かされていることを知っているものは、神の御手に委ねて生きることが出来るではないかといわれるのです。
これに続いて、「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」と言われています。天の父なる神は、私たちに必要な者すべてを知っておられて、空の鳥や野の花を養うように、私たちをも養っていてくださるのです。
私たちの生も死もすべては神の御手の中にあるのです。やがて十字架におかかりになるという時、イエス様はその弟子たちに次のように言われました。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」(ヨハネによる福音書14:16~18)
今日も聖霊において私たちと共にいてくださるイエス・キリストを見る時、神様は私たちのすべての必要を満たしてくださるお方であることを教えられます。
祈り
天の父なる神様、造り主であるあなたは、私たちの必要をすべてご存じであり、それを満たしてくださるお方です。「あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」というみ言葉を覚えつつ、あなたの御手に委ねて生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。