2:3 そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。

 2:4 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。

 2:5 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。

 

パウロは自分の言葉も宣教も、知恵に溢れた言葉によらず、霊と力の証明によるものであったと語っています。人間の知恵ある言葉が人々を説得するのではなく、十字架の言葉を通して働く聖霊が聞く人の心に働いて、神の救いの恵みを信じ受け入れさせてくださるのです。

 

聖霊が私たちのうちに働いてくださったからこそ、私たちは十字架の言葉を、愚かな言葉ではなく、私たちを救う神の力として聞くことができるようになったのです。

 

フィリピの信徒への手紙第1章6節には、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」。と言われています。御言葉を通して聖霊がお働きくださり、イエス・キリストを信じる者たちを起こしてくださるのです。ですから、私たちは優れた言葉や知恵を用いることなく、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリストを宣べ伝えていきたいと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、十字架の言葉を信じ、受け入れる者としてくださり、あなたの命に生かされる恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。