16:26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

 

イエス様は、私たちを罪から贖い出すために十字架について殺されますが、その後三日目に復活させられることになっている、と弟子たちに打ち明け始められたのです。十字架の後には復活があるのです。それゆえ、自分を捨て、自分の十字架を背負って、イエス様に従うことこそ、永遠の命に至る道なのです。

 

イエス様のために命を失うこと、イエス様のために地上の命を用いることが、永遠の命を得る道なのです。そして、この命こそ、何にも代えがたいまことの命です。私たちにとっての命の源は神様なのですから、神との関係が確かなものとされることが命です。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」とあるように、命こそ、私たちに与えられている最高の賜物です。

 

ここでも、「命」は地上の命と永遠の命の二つの意味を持っています。私たちは全世界を手に入れるのにもまして、イエス・キリストの復活によって表された永遠の命を手に入れるべきです。イエス様は、「自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」と言われました。

 

詩編の49編8節、9節には、「神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。魂を贖う値は高く/とこしえに払い終えることはない」。さらに16節には、「しかし、神はわたしの魂を贖い/陰府の手から取り上げてくださる」と言われています。

 

この御言葉を実現してくださったお方こそ、イエス・キリストです。後にイエス様は、「多くの人の身代金として自分の命をささげるために来た」と言われますが、神の子であるイエス様は御自分の命をささげることによって、私たちの命を贖ってくださるお方なのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、罪のためにあなたとの関係が損なわれてしまった私たちのためにひとり子であるイエス・キリストをお遣わしくださった恵みを感謝いたします。まことの命をもたらしてくださる主と共に歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。