「すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は」と言われています。すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者は偶像礼拝者だというのです。

「偶像」ということで多くの方々が思い浮かぶものは、大仏や観音様、お地蔵様などでしょうか。ローマ人への手紙1章には次のように記されています。「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。」

滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えることが偶像礼拝と言われるものです。また、十戒の第1の戒めには、「私のほか何者をも神としてはならない」(と言われています。像ではなくても、神以外のもの(お金や財産、肩書など)を自分のよりどころとするときに、それは偶像になるということができます。

祈り

天の父なる神様、私たちがあなたによって生をあたえられ、生きるために必要なあらゆるものを与えられて生かされているにもかかわらず、造り主ではなく、作られた被造物により頼むような罪を犯してきたことをおゆるしください。偽りの主ではなく、まことの主に在って歩み続けることができますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。