16:5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
16:6 イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。
16:7 弟子たちは、「これは、パンを持って来なかったからだ」と論じ合っていた。
16:8 イエスはそれに気づいて言われた。「信仰の薄い者たちよ、なぜ、パンを持っていないことで論じ合っているのか。
16:9 まだ、分からないのか。覚えていないのか。パン五つを五千人に分けたとき、残りを幾籠に集めたか。
16:10 また、パン七つを四千人に分けたときは、残りを幾籠に集めたか。
16:11 パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい。」
16:12 そのときようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った。
イエス様は、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われました。これを聞いて弟子たちは、「これは、パンを持って来なかったからだ」と論じ合いました。弟子たちの心は自分たちがパンを忘れたこと、食べ物がないことで一杯であったのです。
イエス様は、パンを持って来なかったことに心を奪われている弟子たちを「信仰の薄い者たちよ」と言われます。ここで思い起こすべきは、イエス様が山上の説教において、何を食べようかと言って思い悩む弟子たちを「信仰の薄い者たちよ」と諭されたことであります。
パンを持って来るのを忘れていた弟子たちは、「何を食べようか」という思い悩みにとらわれていたのです。それゆえ、イエス様は彼らを「信仰の薄い者たちよ、なぜ、パンを持っていないことで論じ合っているのか」と言われたのです。
そして、弟子たちが体験した五つのパンで五千人以上の人を満腹にさせた奇跡と、七つのパンで四千人以上の人を満腹させた奇跡とを思い起こさせるのです。イエス様は、五つのパンで五千人以上の人を満腹させ、七つのパンで四千人以上の人を満腹させることのできるお方です。
そのイエス様が共におられるにもかかわらず、パンを持っていないことで思い悩む弟子たちの信仰はまことに薄いと言えます。イエス様は、「パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか」と言われ、再び「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい」と言われました。
そのときようやく、弟子たちは、イエス様が注意を促されたのは、パン種そのもののことではなくて、ファリサイ派の人々とサドカイ派の人々の教えであることを悟ったのでした。
祈り
天の父なる神様、政治的・宗教的な指導者であったファリサイ派やサドカイ派の人たちは、熱心に聖書を学び教えていたにもかかわらず、聖書のみ言葉を理解することが出来ず、あなたがお遣わしになった預言者たちやメシアであるキリストをも受け入れることが出来ませんでした。私たちはそのような誤りに陥ることがありませんように、幼子のような心であなたのみ言葉を求めるものとならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。