23:16 ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。
律法学者たちとファリサイ派の人々は、自分たちが盲人の案内者、無知な者の導き手であると自負しておりました。しかし、イエス様は、彼らを「ものの見えない案内人」と呼んでおられます。もちろん、ここで「見えない」と言われているのは、肉眼の視力のことではありません。
ここで「見えない」と言われているのは、神の真理が見えない霊的な視力、心の目のことです。彼らは「誓い」について、いろいろなことを考え、いろいろな規則を加えていました。
「神に誓ったことはかならず果たせ」というのが律法に記されている原則ですが、彼らは、「主の御名をみだりに口にしてはならない」という掟に基づいて、直接神の名を呼んで誓うことはしませんでした。それで、彼らは神殿にかけて誓ったり、祭壇にかけて誓ったりするようになったのです。
さらに、神殿の黄金にかけて誓ったり、祭壇の上の供え物にかけて誓ったりするようになりました。そのようにして、誓いの中に、果たさねばならない誓いと果たさなくてもよい誓いというそのような区別といいますか、逃げ道を考え出したのです。
「神に誓ったことはかならず果たせ」という神の掟を、現実の自分たちの生活において、どのようにしたら守ることができるか。そのような観点から、このような規則をも作り出したのです。しかし、イエス様からすれば、そのような彼らは「ものが見えていない」と言われます。
彼らは律法のうちにある神の御心を考えるのではなく、自分たちが如何にしたら律法を守ることが出来るのかという的外れな議論によって神の戒めを受け止めるにすぎなかったからです。
祈り
天の父なる神様、律法にはあなたの御心が示されていますが、そのことを踏まえることなく、自分の都合に合わせて聖書を解釈することがありませんように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。