わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。ローマ6:6~10

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

 

罪ある者は死を免れることができません。「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(ローマ6:23)と言われています。聖書が語る「死」とは、根本的には神から離れること、(罪のために)神との関係が不和の状態にあることです。人は本来神とともに生きる者として創造されました。神が私たちが生きるために必要なものをすべて与えてくださるからです。

 

罪ある者は死を免れることはできませんが、イエス・キリストが死んでよみがえってくださったことによって、この方を信じて受け入れるものはその罪を赦され、神との和解を与えられ、復活のいのちに生きることができるのです。

 

イエス・キリストは、神の御子でありながら、その栄光を捨てて、私たちと同じ人としてこの世に生まれ、十字架に向けて歩まれ、苦しみを受けて十字架でご自身をいけにえとしてささげて死んでくださいました。これは旧約聖書において罪の贖いのために預言されていたことでした。

 

そして、主イエスは死んだ後、よみがえって下さいました。主は今も生きておられて、聖霊を送ってくださり、やがて天の御国に生きるように、私たちを守り、導き、支えてくださっているのです。キリストが与えてくださるいのちは、とこしえに絶えることのない確かな命なのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちを罪から解放し、神との平和を与えられて、信仰により、恵みによって復活のいのちに生きる者とされていることを感謝いたします。主イエスが、私たちのために獲得してくださった救いの道を、私たちが生涯歩み続けることが出来ますように、またさらに多くの方々があなたの恵みのうちに生きることができますようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。