27:5 リベカは、イサクが息子のエサウに話しているのを聞いていた。エサウが獲物を取りに野に行くと、

27:6 リベカは息子のヤコブに言った。「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。

27:7 『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。わたしは死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。

27:8 わたしの子よ。今、わたしが言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。

27:9 家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。わたしが、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、

27:10 それをお父さんのところへ持って行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」

 

今日の聖句にも神の選びということが示されています。先に見たイサクとイシュマエルの場合も、神はイサクの方に祝福の継承者とされ、ここではエサウではなくヤコブが祝福の継承者となっていったことが記されています。

 

なぜ、神は弟のヤコブを選んで兄のエサウを退けることになったのでしょうか。私たちにはよくわからないことです。神はえこひいきしていると考える人もあるかもしてませんが、パウロは、ローマ9章で次のように述べています。

 

「では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。神はモーセに、/「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、/慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。」(9:14~16)

 

これはヤコブの方がエサウよりも優れていたからではなく、彼がエサウよりも努力したからというのでもなく、ただ神の憐みによることだというのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、イサクからヤコブに祝福が継承されていきましたが、この出来事を通して、私たちは私たちの意思や努力を超えてあなたの恵みによって、ただイエス・キリストの人としての生涯と十字架の死を根拠として、信仰を与えられ救いに導かれていることを感謝いたします。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。