9:21 また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。

 

「律法を持たない人」とは異邦人、ギリシャ人を指しています。ギリシャ人はイスラエルに啓示された律法を知らないので、「律法を持たない人」なのです。神の御心は律法を持たない人々にも福音を宣べ伝えて、彼らもイエス・キリストを信じて救われるようになってほしいという事です。

 

パウロはここで「神の律法」に対して「キリストの律法」と言いました。ここで言われている神の律法とは、旧約聖書、特にモーセ五書にある神の掟のことです。その神の律法をパウロは律法の目標であり、終わりであるイエス・キリストによって「新しい革袋」として受け取るようになったのです。

パウロの理解によれば、キリストの律法とは「隣人を自分のように愛しなさい」という掟です。ローマの信徒への手紙第13章で次のように言われています。

 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするのです。(ローマ13章8~10節)

 律法を成就するために来られたキリストの律法は、つまるところ「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約することが出来ます。

祈り

 

天の父なる神様、互いに愛し合うことがあなたの御心であることを覚えて、そのように生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。