4:25 あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、/諸国の民はむなしいことを企てるのか。
4:26 地上の王たちはこぞって立ち上がり、/指導者たちは団結して、/主とそのメシアに逆らう。』
4:27 事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。
ここで、ダビデもイエス様も「僕」と呼ばれていますが、ここで「僕」と訳されている言葉は、自分の子供や寵愛している僕を表す言葉です。先に、信者たちが、自らを「あなたの僕、奴隷」と語ったのに対し、ダビデやイエス様には、自分の子供や寵愛する僕を現す言葉が用いられているのです。
つまり、ダビデもイエス様も神が特別に選び、お立てになった神の器、主の僕と言えるのです。なかでもイエス様は、「あなたが油注がれた聖なる僕」と言われていますように、神の御子であり、神の御心を完全に実現するために油注がれた救い主、メシアでした。
ここで、引用されていますのは、詩編の第2篇です。信者たちは、メシアであるイエスが十字架につけられたことによって、詩編の第2篇の言葉が成就したと語るのです。そして、それが意外なことではなく、むしろ神様の御手と御心によってあらかじめ定められていたことであると語るのです。
ヘロデとポンティオ・ピラト、異邦人とイスラエルの民、この4者は、どれも異質な組み合わせですが、主とそのメシアに逆らうことにおいては一致したのです。王たちや指導者だけではない、民衆も一緒になって主とそのメシアに逆らった。また、異邦人だけではない、イスラエルの民も一緒に主とそのメシアに逆らったのでありました。まさに、全人類が神とそのメシアに逆らったのです。
祈り
天の父なる神様、ユダヤ人も異邦人もあらゆる人たちがこぞって主とメシアに逆らい、神の御子イエス・キリストを十字架につけてしまいました。そしてこのような罪は、神を求めようとしないあらゆる人たちが今もしていることです。真実に私たちを愛しておられるいのちの主に聞き従う者とならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。