従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。ローマ8:1~4
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。(新改訳)
パウロは、この世界にいる人々のすべてが、アダムの子孫であり、アダムにつながっているものは罪に定められること。けれども、第2のアダムであるイエス・キリストを信じて受け入れるものは、信仰によって救われるということを述べてきました。
この世界に生きている人は、アダムという契約の代表者につながっている者であるのか、それとも第2のアダムであるキリストという契約の代表者につながっている者であるのか。そのいずれかです。どちらにつながっているかによって雲泥の差があるということを記しています。
「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。」決してないという強調した言葉が使われています。キリストにある者にとっては罪と死の問題は完全に解決しているというのです。
主イエスは、完全な義として神の御前に私たちを代表し、私たちの罪に対する律法の公正な要求を満たしたばかりでなく、私たちが受けるべき罪の刑罰を身代わりに受けて、罪の贖いとして自らをささげて死んでくださったのです。そのようにして、神の御怒りと裁きに対するあらゆる恐れから私たちを解放してくださったのです。
人は神の律法を守ることが出来ないものであり、罪の報いを受けなければならないものでしたが、私たちにできなかったことを神はしてくださいました。
罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。私たちは、キリストの御業のゆえに、恵みによって救われるのです。
祈り
天の父なる神様、主イエスの贖いと、今も私たちの内に働く聖霊の御業によって、「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。」という力強い約束が与えられていることを心より感謝いたします。
私たちが罪を赦され、神の義を与えられる根拠は私たちの側にあるのではなく、100%あなたのみ業のうちにあるのですから、安心してあなたの御手にお委ねして、御心を行なうことができますようにお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。