12:46 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。
「その母」と言われているのは、1章に記されていた、聖霊によってイエス様を身ごもったマリアのことです。マリアは、夫ヨセフとまだ一緒になる前に、聖霊によって身ごもり、イエス様を産んだのでした。また、「兄弟たち」とありますが、これはマリアとヨセフとの間に生まれた、弟たちのことです。
13章53節以下には、「ナザレで受け入れられない」というお話が記されていますが、そこで人々はイエス様について次のように言っています。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」。と言われています。
私たちはここから、イエス様の義理の父であるヨセフが大工であったこと、イエス様に4人の弟がおり、その名前が「ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ」であったこと、イエス様には妹たちもいたことを教えられます。けれども、ここには父と妹たちは出て来ません。妹たちはナザレに住んでいたようですが、父ヨセフはおそらく、このときすでに死んでいたのではないかと考えられています。
イエス様は。およそ30歳になってから救い主としての公の活動を始められたのですが、それまでは、死んだ父に代わって大工の仕事をし、家庭を支えていたと考えられるのです。ともかく、イエス様がなお群衆に話しておられたとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていました。
母と兄弟たちが、「外に立っていたこと」は、象徴的なことです。母や兄弟たちが外に立っていたことは、彼らがまだ教会の交わりに加わっていないこと、イエス様の弟子となっていないことを象徴的に表しているのです。
祈り
天の父なる神様、私たちは父や母をはじめとして家族の中で育まれるように導かれていることを感謝いたします。ヨセフもマリアもあなたへの信仰に生きた人たちであり、その中でイエス様は育てられましたが、何よりも父なる神との豊かな交わりのうちに生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。