20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。

 20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』

 20:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。

 20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。

 20:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』

 20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

 

6時から働いた人が文句を言いました。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』しかし『労務者たちと一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園にやった』のですから、主人は何も悪いことはしていません。同様に9時の人にも、12時の人にも、3時の人にも同じようにしたのです。

 

「しかし、彼はそのひとりに答えて言った。主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。この箇所から私達は、神様は全ての人に同じように恵みを与えられる事を教えられています。

 

「すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」1927

 

ぶどう畑の話は、ペテロのこの質問にイエス様が例えて話された答えです。ここには報酬を要求して当たり前という冷たい傲慢な心があります。神様との関係の中ですら、働いた時間、犠牲を払った度合いに応じて評価が決まると考えてしまっているのです。

 

6時から働いた人達は言いました。

『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』2012

自分達こそ最も苦しんだのだと言いたかったのです。私達も「これだけの事をやった」とその量によって自分の奉仕を測ることはないでしょうか?

 

人と比べてある時は(よくやっている)(ある時はだめだ)と優越感に浸ったり、落ち込んだりしていることはないでしょうか。しかし神様は私達をどれだけの事をした、どれだけの働きをした等とその基準によって計られる事はなさいません。

 

6時からの者にも、夕方5時からの者にも同じ恵みを持って望んでくださるお方です。同じ1デナリを与えて下さるお方です。働きの大きい、小さいではありません。全ての人に神様は同じ恵みを与えて下さいます。

 

「朝早くから焼けつくような暑さの中を働いて、5時から来て1時間しか働かない人と同じとはひどいではないですか。」しかし『労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった』と約束したのですから、主人は何も悪いことはしていません。同様に9時の人にも、12時の人にも、3時の人にも同じようにしたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、ぶどう園で働く労働者のたとえによって、分け隔てなくあなたの救いの恵みにあずかる人たちをお迎えしてくださる恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。