6:32 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。

6:33 また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。

 

自分の仲間や身内などを愛すればよいと思っていた律法学者やファリサイ人たちに対して、イエス様は、「よきサマリア人」のたとえ話を話され、強盗に襲われて倒れていた旅人を見て見ぬふりをして通り過ぎていったレビ人や祭司に対して、介抱をして宿屋まで連れて行ったサマリア人の例を挙げて、「誰が、けがをして倒れていた人の隣人になったか?」、「あなたも行って同じようにしなさい」と言われました。

 

イエス様は、「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。」と言われました。自分を愛してくれる人というのは、自分によくしてくれる人、自分と気の合う人と仲良くしておればいいじゃないかという思いがあったようです。

 

しかし、これはある意味では、「自分さえよければ」という態度であり、得てして富裕層の人たちは、貧しい人たちの気持ちが分からない。社会の中で弱い立場の人たちが虐げられていくという社会になりがちです。

 

そうではなく、あのよきサマリア人のように弱い人や倒れている人の隣人となること、愛し合う社会を築いていくことを神は願っておられます。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは私たちに、互いに愛し合う社会を築いていくことを願っておられます。主イエスが身をもって示してくださったような生き方をすることが出来ますように御霊によってお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。