15:15 するとペトロが、「そのたとえを説明してください」と言った。
15:16 イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。
15:17 すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。
15:18 しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。
15:19 悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。
15:20 これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」
15節で、ペトロが、「そのたとえを説明してください」と尋ねていますが、これは、14節の盲人の道案内をする盲人のたとえではなくて、11節の「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである」という御言葉によるものです。「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚す」。このたとえを説明してください、とペトロはイエス様に聞いているのです。
それを受けて、イエス様は、「あなたがたも、まだ悟らないのか。すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない」と言われました。
新共同訳聖書では、「腹を通って外に出される」と翻訳されていますが、新改訳聖書は「かわやに捨てられる」と翻訳されています。口から入るものは、胃や腸を通って、最終的にはトイレで体の外へと排泄されます。口から入るものは、体の中を通ってトイレに流されていくので人を汚すことはないのです。ファリサイ派の人々は、洗わない手を汚れた手とし、その汚れた手でパンを食べれば、パンも汚れてしまい、その汚れたパンを食べれば、その人も汚れてしまうと考えましたが、イエス様は、口の中に入るものは、人の心に入ることはなく、かわやで捨てられてしまうので、人を汚すことはないと言われたのです。
問題なのは、口に入るものではなく、口から出て来るものであると言われるのです。ここで、イエス様が問題としていることは、私たち人間の心です。ファリサイ派の人々が食事の前に手を洗うことを問題としたのに対して、イエス様は私たち人間の心を問題とされるのです。ファリサイ派の人々は、昔の人の言い伝えを守って、食事の前に手を洗うことによって、汚れずに神様を礼拝することができると教えておりました。しかし、問題は神様の御前に、私たちの心が汚れているということにあるのです。
心が穢れてしまっているために、私たちの心から、悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などが出て来るのです。
祈り
天の父なる神様、人を汚すものは、人の心から出て来ることを教えてくださいました。これを是正するためには、私たちの心そのものが清められていく必要があります。み言葉とみ霊によって私たちの心が変えられていきますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。