人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。ローマ3:23~24
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
22節には、ユダヤ人と異邦人の間には何の差別もなく、いずれも同じように義と認められるということが言われていました。
今日のみ言葉では、それが「ただ神の恵みにより」という言葉によって表現されています。
人はみな罪を犯したと言われていますが、罪は、人の心の一番深いところに根を張っています。人の心を深く探っていくならば、どこにいってもそれは罪に染まっていると聖書は語るのです。「だから、人間は根本的に悪いものなのだ」という性悪説のような話も聖書にはありません。聖書は「人間は神のかたちに似せて創造された」と教えています。人間は「根本的に悪である」というよりは、「的はずれ」なものなのです。罪をもった人はみな「的」からはずれている。つまり、神の栄光を表わすものとして創造されたのに、その栄光を正しく表わすことができないものになっています。
しかし、そのような罪をもった者に神の恵みが表されました。「神の恵み」とは、本来それを受けるに値しない者が、一方的に神によって与えられる祝福です。「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる」主イエスは、このことを多額の借金をしていた人が、そのすべての借金を帳消しにしてもらった人のたとえで説明しています。
私たちは、思いと行いにおいて、神に対してたくさんの罪の負債を持っていますが、そのすべての罪を、信仰によって主イエスの贖いによって赦してくださるのです。
祈り
天の父なる神様、私たちはあなたによって創造され、この世に生きるための必要なすべてのものを与えられ、育まれてきたことを覚えて感謝いたします。
「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる」という事実を教えられました。神の恵みにより、無償で義とされるということの意味を、自分に与えられたこととして深く受けとめることができますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。